「辛い食べ物に興味関心がないのだ」
私は辛い食べ物を好まない。食べられないわけではないが、積極的に食べたいと思ったことがない。突き放した言い方をするならば、まったくもって関心がない。世の中にそういう食べ物があることや、それを好んで食べる人たちがいることは否定もしないが肯定もしない。
私とは関係のないところで需要と供給が成り立っていればそれでいい。本当に私は辛い食べ物に興味関心がないのだ。
しかしながら何の因果か、このような場所で辛い食べ物をテーマに文章を書けと言われた。非常に困った。
辛い物が苦手な人であれば、いかに辛かったかを書き連ねれば一つの情報になるし、表現としても成立するだろう。だが私の場合は食べられないわけではなく、単純に興味関心がないのだ。これは質が悪い。よくもまあそんな私に依頼をしてきたものだ。そもそもなんなんだ「辛メーター」って。
「辛さの注意書きなど愚の骨頂」
私はフードジャーナリストとして「美味しい理由」を探り、語ることを常としている。好きな食べ物はと尋ねられれば「美味しいもの」と答えるようにしている。
端的に言えば、私にとって料理とは「美味しさ」を表現するものである。しかし残念ながら「辛味」とは、日本人の味覚の根本となる五基本味(甘味・酸味・塩味・苦味・旨味)には含まれない。舌にある味蕾から味覚神経を伝わってくるのはこの五味であり、少なくとも生理学上、辛味は味覚ではなく痛覚だ。
常に美味しさを考えて追い求めている私にとって、辛味はその名の通り美味しさを引き立てる「スパイス」でしかなく、主役に躍り出ることはまずない。
だから昨今の「激辛」「旨辛」のブームに些か辟易としている。辛さにランクをつけて、最も辛いものには注意書きがされているなど愚の骨頂。
さらにそこに存在する「より辛いものを食べられた方が偉い」的な雰囲気に嫌悪感すら覚える。「超激辛を30分以内に食べ終えたら1万円進呈」のような下品な施策は、大食い爆盛メニューのそれと何ら変わらない。食べ物で遊ぶな、と強く言いたい。
「ゴールデンカレーなら中辛が好きだ。しかし…」
自分が興味関心のないものは書かないというのが、フードジャーナリストとしてのささやかな矜持である。やはりこの仕事はお断りした方が良いのではないか、などと思い始めた時にふと気付いたことがある。
「私はカレーライスが好きだ」ということに。
カレーライスは昨今の激辛ブームのはるか以前から、辛さに対してその度合いを明示した初の料理である。
市販のカレールウなどの「甘口、中辛、辛口」がそれで、日本で初めてカレールウに辛さの表示をしたのは、1972(昭和47)年に発売された「ゴールデンカレー」(エスビー食品)である。
このシステムの登場によって私たちは「辛さの感じ方には個人差がある」ということを知った。
私は素材のコクや旨味、甘味が感じられる中に、スパイスの程よい香りと刺激が加わるようなカレーが好きだ。「ゴールデンカレー」なら中辛が好きだ。
しかし「私は中辛の人なのだ」と油断してはならない。同じエスビーでも「ディナーカレー」の中辛は「ゴールデンカレー」の中辛よりも辛く「とろけるカレー」の辛口と同じ辛さなのだ。そこにハウスやグリコが加わった時、私たちはいったいどうしたらいいのか。
「私の中辛が探しだせるのかも知れない」
それから半世紀近くが経ち、世の中に様々なカレーが登場しているにも関わらず、辛さの指標についてまったく進化していないのが現状だ。
即席カレールウですら指標があやふやなのだから、レストランやカレーショップのカレーにいたっては、もはや手がつけられない。国民食と呼ばれるほどのカレーですら、辛さにおける明確な指標が存在していないことに驚いた。
なるほど「辛メーター」の目指す世界はここかと会心した。このプロジェクトに関わっておけば、即席カレーはおろか世の中に散らばるありとあらゆる「中辛」の中から「私の中辛」を探し出すことが出来るかも知れない。「マイ中辛マップ」を作ることが出来るかも知れない。
私はこの場所で「美味しい辛さ」を極める旅に出ようと思う。様々な辛い料理を通じて、辛味と旨味の関係を少しずつ紐解いていきたい。なんだかワクワクしてきたぞ。
[文/構成/山路力也]
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